新しいブログのお知らせ
◆新しいブログを開設しました
「元自動車デザイナーの海外見聞録」15編を終わりましたので、次に「元自動車デザイナーの爺雑感」を開設いたしました。爺は時事の語呂あわせで日頃感じたことをっ綴って行きす。引続きご覧いただければ幸いです。
http://blog.livedoor.jp/tokoge16/
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◆6月27日、リオマジョーレ、ヴェルナッツァへ、そしてサンタ・マルガリータに戻ってミラノへ
昨夜の雨が一時晴れそうになったがまた雨。これから行く所(チンクイ・テッレ)は海岸の断崖が険しいので海の方から船で行くか列車で行くしかないという。天候が悪いので列車で行くことになった。列車は頻繁に走っている。成程途中は殆どトンネルで、トンネルの開いた所が駅である。思い出したが、1967年、初めてのヨーロッパ一人旅でフィレンツェからトリノへ行く時ここを列車で通ってジェノヴァで乗り換えたのだった。列車の同室の年配のイタリア人がトンネルに入った時天井を指差して「チッタ、ジェノヴァ」と言ったっけ。





リオマジョーレも地中海に望む断崖を背にした小さな漁村だが今はリゾート地。また列車でヴェルナッツァへ。ここも似たような所で日本とは違う建物を除けばやはり伊豆の海岸と似ている。


[ヴェルナツァ]



[私にもお魚釣らせて]



また列車でサンタ・マルガリータに戻り、昼食の後、バスでミラノに向う。ロンバルジア平原を通ると回りに青い田圃や向日葵の黄色い畑が目を楽しませる。

ミラノに到着して直ぐ市内観光に出かけたが、私はここに何度も着たのでやっと親しみを感じる町に来た思いであった。そして今度の旅の最後の夜を過した。
◆帰国

[ミラノ空港で]
6月28日朝ミラノ発、パリ乗り継ぎ、6月29日午前成田着。入国、通関後解散。
この日、私の76歳の誕生日でした。
◆あとがき
これで15回に及ぶ私の海外留学、出張、旅行、の記録を終わります。まだスペインやギリシャ、エジプト、北欧などには行っておりませんが、もうこれから出掛ける事はありません。ですからこのブログ「元自動車デザイナーの海外見聞録」はこれで御終いです。始めのうちは自動車のデザインに関することもありましたが、終わりの方はただの観光旅行が主になってしまいました。長いことこの拙文に御付き合い下さった方に心からお礼申し上げて筆をおきます。
◆モナコ、ジェノヴァ、サンタ・マルガリータ・リグレ(ポルトフィーノ散策)
9時にカンヌのホテルを発ってモナコへ。美しい都市国家だ。宮殿は贅を尽くした感あり、モンテカルロ市は言ってみれば熱海のようだがもっと高級だ。市を去る時高速道路を走るバスからの眺めが素晴らしかった。何枚もカメラのシャッターを切った。




地中海を右に見て高速道路を走ってやがて国境通過。検問はドライバーだけで何も無く、イタリアに入る。トンネルの多い道で合間に見える地中海の断崖に建つ家はイタリア切ってのリゾート地の別荘の由。




ジェネヴァ着。ここで昼食は魚料理とあって期待したが、リゾットと鮭のような魚だった。ジェノヴァは見学しないで3時半頃サンタ・マルガリータ着。
一旦ホテルに入ってからホテルの小さい車でポルトフィーノに向ったが、道が渋滞して途中から歩いてゆく。ポルトフィーノは漁村だというが結構観光化していて、漁港に沿った立派な色とりどりの家もホテルや別荘で、港にはヨットが一杯。大きな観光船も停泊している。高い岬の先端に上る。あいにく天気があまりよくないので地中海も青く見えないのが残念だ。ここは白い大きな観光船が無ければ伊豆の辺りに似ている。岬から下りる途中で港の風景をパステルで描いている人が居た。私ももっと時間があればとうらやましかった。










ホテルに戻って部屋の窓から沢山のヨットや漁船がもやっている曇り空の港の風景をスケッチした。夜は雷雨と
った。明日の天気が気にかかる。


◆カンヌ滞在
今日は一日自由行動である。ツアー一行の人達は夫々自分の思い思いのところへ出かけてしまう。さて私はタクシーでも飛ばしてカーニュ・シュル・メールのルノアールの家に行きたいところだが、ここまでの旅で些か疲れが出て遠出は億劫だ。が、このむさくるしいホテルにじっとしても居られないから、とにかく海岸に出るべく坂を下りる。骨董市をやっている所があって、面白そうなので見て歩く。古風な小さい箱が御土産に適当だと思って値切って買った。
海岸を西の方に歩いて高台に上がる。旧市街といってもカンヌという町が新しいからただの住宅地である。家々の垣根の花が美しい。一番高いところに教会があって中に入ってみる。大きなパイプオルガンがあった。教会の脇からカンヌの海岸沿いの町と海が一望できる。ベンチに腰を下ろして持って来たスケッチ道具を使ってカンヌ風景を一枚描いた。








一旦ホテルに帰って、近くの中華料理店に入って久しぶりにお米のご飯を食べて(カンヌらしくないが)今度は海岸通を東に向って歩く。海岸の浜辺はすべてホテルに占められていて、派手なパラソルが一杯。東の端にちょっとした公園があって、今結婚式を終えたばかりの花嫁・花婿がその姿で写真を撮ったりしていた。







ホテルに帰って聞くとツアーの人たちはニースに行った人、マチス美術館に行った人、泳いだ人など夫々楽しんだ様子。私達の収穫は小さな骨董品の箱とスケッチが2枚。
◆マルセイユからニース、サン・ポール・ド・ヴァンス、アンティーブ、カンヌまで
6月24日、朝食前にホテルの前の旧港の岸壁に出てみると、簡単な台を置いて魚を売っている。朝早く港へ帰った漁船から水揚げされたものであろう、さぞおいしかろうと思うが旅先のことでは致し方ない。
マルセイユのホテルを発って一路ニースへ。11時頃ニースに着き、日本人女性のガイドさんの案内で先ずシャガール美術館。ラヴェンダーの花に囲まれた美しい建物、そして展示はシャガールの旧約聖書の物語に限られているのがいい。一作が200号位の大作で、改めてシャガールに感銘、別棟のステンドグラスの建物もしゃれている。ここに来てすっかりシャガールファンになってしまったようだ。





カーニュ・シュル・メールはルノアールが晩年過した家があるところで、そのルノアールの庭というのを見たいがバスは通過してサン・ポール・ド・ヴァンス(鷲の巣村)へ。ここも今はリゾートの町になって古風な建物も皆別荘になっているとの事。イヴ・モンタンのカフェテリアがあったり、古風な狭い商店街があったりするなど、芸術家の愛した町に相応しい雰囲気だ。







[墓地、ここにシャガールの墓もある]
アンティーブ。海に面した館が今はピカソ美術館。そこへ行く途中にド・スタールのアトリエだった家がある。ピカソ美術館はピカソが晩年気に入ってしばらく滞在した所で、特にこの辺の窯場で焼いた陶器がたくさんある。美術館の一部に展示されているド・スタールの作品が目を引く。特に壁面一杯の赤い絵が素晴らしい。実物は恐らくここでしか見られないだろう。






[一期会展に出品して入賞した80号の作品「アンティーブ」]

[ドスタールの作品]
[付記]今世界一になろうとしている日本の自動車メーカーが数年前ここに素晴らしいヨーロッパのデザインの拠点を開設した。何とうらやましき次第である。
カンヌへ。海岸の立派なホテルは素通りして我らのホテルは海岸から離れた駅前の殺風景な所でがっかり。冷房も故障して効かない。ツアーのパンフレットには「カンヌの休日をお楽しみ下さい」とあって楽しみにしていたのがこれは期待はずれだった。
◆エクサンプロヴァンスからマルセイユまで
レ・ボーの山を下ってエクサン・プロヴァンスの町へ。思ったより古くて大きな街だったが、ここでの御目当ては勿論セザンヌのアトリエである。街の中心から少し上がった閑静な住宅地のアトリエはセザンヌが住んでいた通りに保存されていた。セザンヌが写真嫌いであったことからか、写真撮影は一切禁止である。アトリエには粗末な、殺風景な部屋の中に絵の具で汚れたイーゼルが立ち、あの木製のテーブルがあり、子供の石膏像があり、棚の上にはあの皿や壺が見える。



アトリエを出て運転手に頼んでサン・ヴィクトアール山の見える所まで行ってもらった。少し霞んでその山の姿は青みがかっていて確かに左がなだらかで右が急な傾斜に見えたが、特に絵にしようとするような景観ではなかった。

町に戻って並木道の木陰に心地よい風の通り抜けるミラボー通りで買い物などして、昼食をとってからマルセイユに向った。
マルセイユに着くと暑い日差しがじりじりと照りつける。ガイドさんの話では今日は特別暑くて35度を越しているという。しかし日本のような湿気が無いから日陰に入ると爽やかである。旧港の周りを巡ってから高台のノートルダム・ド・ギャルド寺院に行くとマルセイユの港が一望できる。






また下に降りて市内のメモリアル、証券取引所などを巡ったが些か疲れてやっと旧港近くのホテルに着いた。


ホテルに旅装を解いてから夕日に照らされた港、今はヨットばかりが停泊している港の岸壁で、嘗て日本からヨーロッパに青雲の志を抱いてはるばる船でやって来た人達が始めて踏んだ大地に立って、また私の一番上の兄も昭和の始めにドイツに留学した時、35日間の航海の後に、また35日後に届いた「マルセイユに着きました」という絵葉書の知らせを受けた時のことを思い出しながらスケッチした。

◆レ・ボー
6月23日朝、古い館のホテルを後にしてレ・ボーへ。ここも石灰岩の山の上。死者の町と言われる。


中世の頃、この地は南フランスでの最強の勢力を誇り、80の町を従えていたという。しかし14世紀にはボー家の勢力は衰え、最後は1622年、時の宰相リシュリューによって町は完全に破壊され、その息の根を止められて人の住まない死の町と化したという。
岩の間の坂道を登って行くと途中に観光土産店やカフェなどがあって全くの死の町とは言えないが、そこから展望の効く台地に出てそのすさまじい光景に驚いた。周囲は石灰岩の岩の山々、正に奇観である。強い風が非情に吹き抜ける。プロヴァンスという地方は来る前に想像していた様な緑豊かな楽園ではなく、厳しい地形と気象の所であると認識を新たにした。










◆アルルの町に到る。
ゴッホ所縁の地である。先ずゴッホ記念病院。彼が精神病になって入院した所。ちょうど修道院の四角い回廊と中庭の形になっている。その中庭はそれを取り巻く回廊のアーチの黄色い縁取りや真ん中の泉や植え込みや花など全くゴッホが描いた通りに作られている。街中に「夜のカフェテラス」の広場とそのカフェはあるが、昼間のせいもあるかもしれないが、ゴッホの絵とは大分イメージが違っていた。



アルルも古代ローマの遺跡が多い所で、ここにもアレーナと円形劇場があり、それを見てからリピュブリック広場に出てサントロフィーム教会を見る。その正面ファサードが修復工事で見られなかったが、これは後から知った、そのタンパンはロマネスク彫刻の一つの代表的な遺跡なのであった。







サン・レミ・ド・プロヴァンスに行く途中で予定にはなかったゴッホの跳ね橋とドーデーの風車を訪れた。ゴッホの跳ね橋も再建されたものだがこれも木造のため大分古びている。橋の下には洗濯女達は居ない代わりに裸の子供達が水に飛び込んで遊んでいた。

ドーデーの風車は樹のない殺風景な台地に立っていた。入り口から中に入って二階に梟がいるかと思って覗いたら上がるには入場料を取るというのでやめた。(ドーデー作、桜田佐訳「風車小屋だより」岩波文庫)

サン・レミ・ド・プロヴァンスに行き、ゴッホが入院していた修道院の精神病院に行った。ゴッホがこの病院の囲いの中や近郊の麦畑を描いた所である。静かな環境の美しい修道院の病院であった。



ホテルは郊外の古い館で、広い庭があってその中を散歩して、夕食は庭にテーブルのしつらえられた所で楽しく過した。プロヴァンスの名物の注ぐと白くなる御酒が出たが、アルコールに弱い私には飲めないので残念。



◆6月22日 ボーリーの村、ゴルド、セナンク修道院
朝8時、アヴィニヨンを後にしてボーリーの村に向う。だんだん山道にかかる。山肌は白い石灰岩で、ミッシュランのガイドブックにあったように、何億年前はこの辺が海であったことが分る。山道を辿ってボーリーの村に着く。駐車場からこの村を見学するための特別の車に乗せられて行く。このボーリーの村というのは来てみて始めて知ったが、ある種族の人達が難を逃れてこの険しい所に石積みの家の部落を作って住んでいた。今は住む人の無い遺跡となっている。平たい石を積んで囲った中に家と言っても部屋のような空間があって、所々に食べ物を煮炊きした窯の跡が見られる。石垣の間から向うを見渡すと、平地の向こうに石灰岩の丘陵が見える。ちょっと日本では見られない景観で、皆が集まってくるのを待つ間に急いでスケッチした。







「ボーリーの村から」
バスに戻って山道を辿ってゴルドに向う。ゴルドは前の年の上野の美術館の一期会展でいつも南仏の絵を描いている人の描いた、すごい風景が強く印象に残っていて期待していた所である。あの険しい山を登ってゆくのかと思ったら、バスは尾根のような細い道を通って突然あの絵の通りの眺望の所に出て、山上の町全体が見える。写真を撮る時間だけと言われた僅かの時間に写真も撮り、急いで鉛筆だけでスケッチした。これは帰ってから葉書絵を沢山作ってツアーに参加した人達に配って大変喜ばれた。



ゴルドの頂上の宮殿は、その時は或る抽象画家の展示場になっていた。宮殿の前の広場から下に坂道のトンネルになっている家が見える。広場には泉がわいている。この高い所にどうやって水を汲み上げているのだろうか。






ゴルドから山を下って行くと崖っ淵のような所に沿ってラヴェンダーの畑が見え、向こうに灰色のセナンク修道院が見えてきた。周りはラヴェンダーの畑の他に何も無い。いかにも修行のためといった、装飾も殆どない、大きな修道院である。中に入ると太い柱廊に囲まれた中庭、そしてガランとした礼拝堂、あの豪壮なゴシックの大聖堂からは想像できない厳しさを感ずるのであった。

◆6月21日 アヴィニヨン市内観光
朝9時にロビーに集合して日本人の女性ガイドさんの案内で市内観光に出る。法王庁宮殿は一時期(14世紀)ローマから逃れてここに法王庁を置いたものである。宮殿前の広場から眺めると高さ50メートル、厚さ4メートルという巨大な壁が辺りを圧倒しているようだ。







中に入ると枢機卿会議の間とか、サン・ジャン礼拝堂、祝宴の間、大謁見室など壮大であるが、一部にフレスコ画が残るほか、殆ど失われている。一部の部屋で今夜行なわれるコンサートのリハーサルが行なわれていて、一曲終わると拍手が起こる。
宮殿を出てロジェ・デ・ドン公園に行くと、眼下に「輪になって踊ろう」のアヴィニヨンの橋が見下ろせる。橋が半分しかないのは大水で流されてそのままのなっているのである。下に降りて橋を渡る。風が強くて中央の橋の切れ目に着くのがやっとである。これがプロヴァンスのミストラルというものか。





橋から戻ってノートルダム・デ・ドン教会から通りに出てレストランで昼食の後解散。連れは土産物を見て歩きたいというのを、私はどこかでスケッチがしたいので、法王庁前の広場の隅の石に腰を下ろして斜め前に見える、マリアの像の立っているノートルダム・デ・ドン教会をスケッチしてから連れと一緒になってあちこち店を見てホテルに戻った。夜になっても町中あちこち到るところで音楽が演奏されてとても眠れなかった。

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